26


 暖かに日の差し込む森の中で賢者は静かに腰を下ろした。目を瞑り瞑想に入る。研ぎ澄まされた感覚には鳥の羽ばたきや鳴き声、小動物の動く音や気配がはっきり感じられた。目を開いているより、世界を正確に知覚できた。
「神は止めに入らない。計画は順調に進行中だ」
 賢者の利発そうな形の整った唇が動いた。
「神は存在するのだろうか……」
 賢者は再び口を開いた。
「その問いは千二百八十四度目だ、ラティス」
 同じ口元から全く別の声が発せられた。
「その問いに対する決着はついたはずだ。何を今更同じ質問をするのだ。全くの不合理だ」
 また別の声が発せられた。
「そうだ不合理だ」
「何が疑問なのですか」
「疑問は既にない」
「神を恐れるのかい?」
「君は神ではない」
「貴方は何を迷っているのですか」
「何をためらっているんだ」
「自分を過大評価しているのじゃないか」
「お前は弱い」
「お前は天才だ。世に選ばれているのだ」
「あんたは何でもできるじゃないか」
「お前はもう決断したろう」
 別々の声が次々と発せられた。
「ラティス。……少なくとも君は神じゃない。君は『私達』の中に唯一残った『人間』ではないか」
 二番目の声が再び答えた。
「そうだ。その通りだ」
 賢者の頬には涙が伝った。
「君は『私達』の中で最強でありながら、最大の弱点だ」「そうだ」
「『私達』の悲願を達成することができるのも、阻止することができるのも君だけだ、ラティス」
「その通りだ」
「ラティス、今は問うときではない」
「解っている」
 賢者は泣きながら微笑んだ。
「ラティス、一つ尋ねてもいいか?」
「何だ?」
「その涙は誰のためだ?」
 賢者は涙を拭くともう一度微笑んだ。
「私には解らないよ。お前には解っているだろう?」
 暖かい日の差し込む森には一つの墓があった。
 ー偉大な賢者ここに眠るー
「師匠……」
 賢者のつぶやきは墓の静寂に消えていった。



 27
「お師匠様はねえ、今、仕事中だよぉ〜」
 ローザは間延びした声で答えた。
「仕事?こっちも急な用なんだがな」
 ヴィルは不機嫌に答えた。
「そういえば」
 ルカが人差し指をピンと立てて顔を上げた。深駆はそれを見て長い指だなあ、と思った。
「ヴィルさんはどうしてここに?」
「そら、あんたと同じに決まってんだろ。異世界人を拾ったんだぞ」
 ルカは、ああそうかと頷いた。
「おい、ちびっ子。賢者がいないなら、なんか方法ないかあんたが教えろ」
「ローザはちびっ子じゃないぃ〜」
「けど、こんなかで一番ちびだ」
「ちゃんと、ローザって呼んでぇ〜」
 ローザはそういうとヴィルに小さな舌を出した。
「ほら、あんた舌が短いだろ。舌っ足らずなのはそのせいだ。背と舌を伸ばせば、あんたも少しは魔法使いらしくなるかもな」
 ローザはそれを聞くとしくしく泣き出した。
「ヴィンちゃんさん、大人げなーい」
「ヴィルさん、そんなことじゃ、女性にもてませんよ」
『なあーかした、なあーかした。先生に言いつけよ〜』
 咲とルカと不定形生物から指摘されて思わず、黙り込むヴィルであった。
「じゃ、じゃあ、今日はもう遅いから後は明日にしません?ほら、みんな疲れましたよね」
 こういう局面で思わずバランスをとってしまう気の小さい深駆であった。

 会合がお開きになった後、ヴィルは気晴らしに外に出た。人が多いところは苦手だった。その上、今日は予想していなかったことがたくさん起こり、少し疲れていた。 ローザの家から少し離れた、林の木の根本にしゃがんだ。思わずため息が出た。自分でも大人げなかったと思った。いやな、気分だった。
 もう一度、ため息をついた刹那、上から何かが飛び込んできた。ヴィルは反射的にそれを切ろうとしたが、寸前で手を止めた。
「なんだ……。あんたか」
 ルカがやはりナイフで剣を防ごうとしていた。
「そういう悪戯で命を落とすんだ」
「貴方、気づかなかったんですか。私がついてきていたこと」
 ヴィルは片側だけ眉毛をつり上げた。  
「そうか……」
「疲れてますね。久しぶりにあったというのに」
 ルカは苦笑して言った。
 ヴィルはルカを横目で睨んだだけで返事をしなかった。
「十二年ぶりです」
「ああ。あのころは師匠が生きてた」
 ヴィルは表情を変えずに言った。
「師匠さんはどうしたのですか?」
「六年前にある国の国境警備隊ともめてね、剣を抜く前に殺された。宝珠をとられそうになった……」
「そうですか……」
 ルカは暗い表情になった。数少ない知人の一人がすでに死んでいた、と聞くと流石にこたえた。
「しかし、妙だな二つの宝珠の守護者である俺たちがここで会うとは」
「ええ。そうね。私もそれを指摘しようと思いました。狙ったように私達と異世界人が出会うなんて」
「罠か……」
 ヴィルは剣を握った。
「しかし誰が、何のために?」
「破滅の伝承と関係があるのかもしれん」
「それは伝承にすぎないと貴方のお師匠様が……」
 ルカは深刻な顔で言った。
「そうだな。ただの推測にすぎん」
 ヴィルは立ち上がると服をはたいた。
「そうですよ。罠だなんて大袈裟です」
 ルカは心なしか不安げに微笑んだ。
「だがな、ルカ。それぐらい慎重でないと俺は生き残ってこれなかった」
 ヴィルは皮肉げな笑いを浮かべた。ルカはその表情に思わず後ずさりしそうになった。不気味だった。
 風が林を抜けた。
 満月に近い夜は明るかった。
 二人にはお互いの表情がよく見えた。
 物心ついたときから独りぼっちだった少女。
 物心ついたときから血の中で剣を振るっていた少年。
 二人にとって確かな物は宝珠だけだった。
「何にせよここは『この世でもっとも安全な場所』だ。師匠は何かあればここを訪ねろ、と言った。大丈夫だろう」
 ヴィルはルカから顔を背けた。
 
 二人が家に帰ろうとした瞬間、その方角から爆音が聞こえてきた。二人は武器を抜くと全速力で家に帰った。 家が見えてくると、ルカは背筋に冷や汗がにじみ出るのが解った。二階の一区画が丸ごと吹っ飛び、煙が出ていた。ドアを蹴破り、二階に駆け上がった。
 吹っ飛ばされた区画にたどり着くとちゃっかりパジャマを着ている咲とだらしなく口を開けている深駆が目に入った。
「ハァハァ……一体どうし……どうしました?」
 ルカは肩で息をしながら聞いた。
「あっ、ルカ、何処行ってたんすか。心配したっすよ」
 深駆はようやく自我を取り戻していった。
「むぁ〜。といあえ〜ず。ここはろんろんの部屋だよむ〜〜」
 ルカは半ば呆れてローザの部屋のドアを開けた。
 すると、部屋の屋根は見事になくなっていた。あたり中ホコリとススだらけだった。
「ローザさん。居ますか?大丈夫ですか?」
「おい、ルカここだ……」
 どうやら壊れたところから直接進入したらしいヴィルがローザの首根っこを持ってぶら下げていた。
「このちびっ子の仕業みたいだ……」
 ローザはススだらけになってのびている。
 深駆が部屋に入ってきて爆発に巻き込まれなかった物を物色し始めた。
「ねえ、ルカ。これは何?」
 深駆はその中から羊皮紙らしき物を取り出すとルカに見せた。
「んー。読めませんが、魔術の手引き書のようです。」 ルカは羊皮紙についたすすを払った。
「そぉかぁ。ヴィンちゃんさんが虐めるからろんろんは魔法について調べてたんだねぇ」
 咲はパジャマを汚したくないのか部屋には入ってこない。深駆はなるほど、という顔をしてゴミの物色を続けた。
「深駆さん。ローザさんの介抱をお願いします」
 ルカはヴィルからローザを受け取ると階下にに抱えていった。あわてて深駆もついていく。咲も欠伸をしながらどこかへ行ってしまった。
 ヴィルは再びため息をついた。
『あんちゃん。あっしはあんちゃんのミカタですぜ』
 ヴィルは突然肩に現れたあぎを引きはがし、床に叩きつけるとふみつけた。


 28


 ルカは肩を揺すられて目を覚ました。状況を確認するまで時間がかかった。
 気がつくと、ローザに膝枕をして、深駆の肩に頭を預けて寝ていた。
「そろそろ起きろ。もう昼だ」
 ヴィルの素っ気ない声が背後から聞こえた。
 ルカは立ち上がり慎重に深駆を引っ張ると、ローザの頭を深駆の膝に乗っけた。
 ルカが声のした方に行くと、テーブルに食事の用意がされていた。なかなか美味しそうだった。
「貴方が用意したんですか?」
 ルカが驚いて聞いた。
「ほかに誰が?」
 ヴィルがキッチンで何か作業しながら聞いた。
「咲さんとか」
 ルカはあたりを見回しながら言った。
「あいつが俺に朝飯作れって命令したんだ。自分はさっさと食って、散歩に行った」
 ヴィルはカップに何か飲み物を入れて運んできた。
「一人で大丈夫ですか?」
 ルカはパンを囓りながら聞いた。
「さぁ……たぶん大丈夫だろ。ところで昨日は一晩中あれの面倒見てたのか?」
「ええ。だいたいの作業は深駆さんがしてましたけど」 ルカは少し可笑しくなった。ヴィルはなんだかんだ言って昨日のことを気にしていたのだ。
「たいだいまぁ〜」
 咲が玄関を開けて入ってきたようだ。
「ぬっ、咲殿」
 深駆はその声に反応して目を覚ました。
「うわぁ〜。ぬーちゃん、ロリコン?」
 咲が両手で口元を隠しながら、満面の笑みで言った。「えっ?」
「ローリータコンプレックスかって聞いたんですぅ」 深駆はあわてて自分が膝枕をしている少女を見た。
「いやっ、これは、そのう」
 深駆はあわてて、クッションをたぐり寄せるとそれにローザの頭を乗せてやった。   
「末永くお幸せに〜」
 咲はそういうとさっさとダイニングの方へ引き上げてしまった。深駆はそれ追いかけた。
「いや、これは何かの間違えで……」
「深駆さん、ここへ来て一緒に召し上がったら?」
 ルカがようやく助け船を出した。
 深駆はすごすごとテーブルにつくと食事を取り始めた。
「ヴィンちゃんさん、お昼まぁ〜だぁ〜?」
 咲はテーブルにつくなり言った。
「また、俺に作れと?」
 ヴィルはかなりいやそうな顔をして聞き返した。
「えっ、まだ作ってないの?」
 咲は突然真顔になっていった。それからテーブルに突っ伏して動かなくなった。
「……………」
 ヴィルは露骨にいやそうな顔をするとキッチンへ引き下がった。すると、咲が再び顔を上げてガッツポーズをして言った。
「勝った……」

「問題はこれからどうするかと言うことですね?」
 ルカはそういうとカップに口を付けた。
「わたしゃね、どーすりゃいいんでしょ……」
 深駆は弱々しい笑顔で発言した。
「賢者は不在。あんたらを異世界に返す手だては今のところない。賢者が帰ってくるまで待つか……」
「もしくは、探しに行くかですねぇ」
 咲の発言にヴィルは小さく頷いた。
「しかし、この広大な世界をどこから探せと?」
「あのちびっ子に聞くという方法がある」
「でも、まだ寝とりゃすぜ」
「んー。はっきり言って俺はどうでもいいや。あんたら二人ここで賢者を待てば?」
 ヴィルは心底どうでも良さそうな顔で言った。
『あんちゃん、そりゃ酷いですぜ』
 あぎが咲のマフラーから顔だけ出していった。
「そうですよ、それはかわいそうです」
 ルカは言った。
(ちょうどおもしろいところなのに)
 ルカはテンションのあがらない深駆を見て思った。
「天気がいいですねぇ」
 外は深刻な状況にはそぐわない、いい天気だった。


 29


「いたか?」
 ヴィルは大声で二階にいるルカに尋ねた。
「居ません」
 ルカは二階の部屋をひととおり調べるとこたえた。
 ローザの様子を見に行った深駆が大声を上げてからだいぶ時間がたっている。ローザを寝かしていたソファには誰もいなくなっていた。起きたばかりで、遠くに行けるとは思えなかった。
「くそっ」
 ヴィルは小声で悪態をついた。そのとき付近を探しに出ていた咲と深駆が帰ってきた。
「その辺には居なかったっす」
 深駆は肩で息をしていた。
「何故だ?」
 ヴィルは小声で自分問うた。
「解りません。傷はそんな酷くはなかったですけど、気絶するほどの衝撃を受けたのですから……」
 ルカは自分に言い聞かせるように言った。
「賢者様に呼ばれたとかぁ?」
 咲が人差し指をほおに添えて言った。
「ショックで混乱していて、起きたとき、とっさに転移魔法で逃げたとか」
 ルカは腕組みしながら言った。
「買い物に行った」
 ヴィルは真顔で言った。深駆はつっこみたかったが、全体の流れの方にあわすことにした。
「ローザさんは実は幽霊か幻だった」
「んなわけねーだろ」
 真顔のヴィルにつっこまれた深駆は少し釈然としなかったが、黙っていることにした。
「んーーーーーー」
 全員が頭を抱えた。
「さきちゃ、せーかい」
 突然、ある有名な司会の真似をしたローザの声が聞こえた。
「ルゥちゃん、しんちゃん、昨日はありがとねっ」
 ローザは二人に微笑みかけた。
「けどぉ、ここで重大発表します!お師匠様からの伝言。『君たちに珠の守護者たる資格は乏しい。もし、己にその資格があるというのならば、この娘から命がけで守り抜きなさい。この娘のとった珠は私が預かることにする』ということだからぁ、いくよぉ」
 ローザはローブの袖から杖を取り出すと構えた。
「何だと?」
 ヴィルは耳を疑った。
「えっ。嘘」
 深駆は普通に狼狽えてしまった。
「マジ?」
 一瞬ローザが深駆の視界から消えた。次の瞬間、隣にいたヴィルが吹っ飛ばされて、壁にめり込んだ。
「マジ?」
 深駆はもう一度言った。
 咲はすでに拳銃を抜いていた。ルカもナイフを抜いて構えていた。
「なるほど、そういうことかぁ。賢者め!この珠は師匠から貰った唯一のものだ!渡すかっ!」
ヴィルは壁からはい出すと剣を抜いて叫んだ。
「ローザ、確かめます。本当に珠を持ってこいと賢者様は仰ったんですか?」
 ルカは言った。
「そぉだぁよぉ。ここからは本気モードだ」
 ローザは再び視界から消えた。
 ルカはとっさにブリッジでよけた。
 服の端が切れて飛んだ。
「ヴィルさん。この子は空間移動をしているわけではありません。死角をついて高速で移動しているだけです」
 ルカはローザを睨むと叫んだ。
 しかし、すでにヴィルは聞いていなかった。
 獣のような叫び声で突進するとローザを薙ぎ払った。ローザは軽く飛ぶとそれを軽々とよけた。
 ヴィルは返し刀で再びローザに斬りかかったが、ローザはブリッジでよけ、そのままヴィルの両手首を両足で蹴った。ヴィルの剣がはじけ飛んだ。
 ローザがヴィルの剣に寄ろうとした隙をついて咲は銃を撃った。
 ローザは振り向きもせずに杖を振った。すると、弾丸は空中で止まり床に落ちた。
「そんなもんじゃあ、ローザは殺せないよ」
 ローザは弾丸を拾うと咲に微笑みかけた。
 ルカは再びローザに近づくと首を狙って突いた。ローザは体を捻ってかわすとそのまま回し蹴りでルカの背を蹴りふき飛ばした。
 深駆はソーサリーグローブをためて、タイミングを見計らって打ち込んだ。
 しかし、ソーサリーグローブは何の効力も示さず虚しく空を切った。
「それローザが作ったんだからぁ、止め方ぐらい解るよ」
 深駆は恐怖で動けなくなった。
 ヴィルは再びローザに突進した。  
両腕の感覚はなかった。ローザは軽くよけると足を出してヴィルを転かした。
 背中に乗ると腕に技を決めて動かないようにした。
「くそ、魔法使いが体術かよ……」
 ヴィルは精一杯の悪態をついた。
「違うよー。魔力をそのまま空間に放出してその反動で移動したり、相手を飛ばしたりしてるのー」
 咲が再び銃を撃った。ローザは高速で移動すると背後から咲の後頭部を殴った。
 咲は崩れ落ちた。
 ローザはゆっくりヴィルの剣に近づき、拾い上げると嵌められていた宝石を抜き取った。
 ちょうどそのときどこからともなくピーという音が聞こえた。
「時間だぁ。もう行かなくちゃぁ」
 ローザは剣をヴィルの顔のすぐ横に刺した。
「ちびっ子じゃないからね、次はローザって呼ぶんだよぉ。わかった?」
 ローザはそう言うと呪文を唱えて空間転移をした。
 ヴィルの意識は暗闇に沈み込んだ。
 後には放心した深駆と傷だらけの仲間だけ。













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