二章
1
「ただいまぁっ。お師匠さま」
ローザは持っていた本気狩棒をくるり、と回して消し、眼の前の師匠へと駆け寄った。
静かだった空間に現れたローザの足音に、何羽かの鳥が高い空へと飛び立っていく。
「おかえりなさい、ローザ」
師匠は柔らかい笑顔を駆け寄ってきた弟子へと向ける。
細められた瞳までもが優しげな。生みの親に捨てられたローザにとって、この紫の瞳と髪を持つ男は何処までも優しい師匠であり、父であり、誰よりも愛すべき人だった。だからこそ、師匠の前にいるときローザの顔には、自然と甘えの表情が浮かぶ。なんだかんだいってもまだローザはまだ十になったばかりの子供なのだ。
「首尾は、どうでしたか?」
「んーとぉ…実は失敗っ。球一個しかもってこれなかったのだよ」
えへへ、とローザは誤魔化し笑いをして球をラティスへと手渡す。
ローザは、師匠が怒らないかわりに「仕方が無いですね」と言わんばかりの苦笑を浮かべるのを知っていて。その上その表情を見るのがとりわけすきだったのだ。
今日もやはり、変わらずにその苦笑を顔に浮かばせる師匠に少し、ローザは安心した。
最近の師匠は、ローザからみて、何か、どこかが違う。そんな気がしていたから。
「わざと、でしたね?」
「むぅー失礼なぁ。ローザは仕事はきちんとするよー?今回は時間がなかったの」
「…そういうことにしておきましょうか」
「そういうことにしておかなくっても、そうなの!」
「そうでしょうか。昔からお前は空ばかり見ていてよくよく仕事を忘れていたと思っていましたけれどね」
笑って言うと、師匠はすっと瞳を閉じて。
表情が、変わった。
「ところで、ローザはあの四人についてどう思いました?」
「ん?…正直まだまだだね☆んでも素質はあると思うよ?そうだね。後五年も修行すればローザと一緒にお師匠さまの弟子にしてあげてもいいかなぁ」
ローザは先刻戦ったばかりの四人を思い起こす。
楽しかった。動きは稚拙だったけれど、一生懸命で。競う仲間のいなかったローザにとっては初めての感動。
一緒に師匠の弟子にしてあげても、という台詞はローザにとってあながちウソではなかった。
「その五年、数日に縮めてもらえませんか?」
「む?」
きょとん、とした表情のローザに、瞳を閉じたままの師匠はただ淡々と続ける。
「彼らには、少しばかり強くなってもらいたいんです。球のことはひとまずいいですから、そちらを頼めませんか?…彼らにはしてもらわなければならないことがある」
一瞬、ローザは丸く目を瞠る。けれど次には明るく笑んで。
「もちろんー。ローザ、最っ強の魔法使い。そのくらいおやすい御用だね!」
力いっぱいローザが胸を叩いて、そしてその強さに自分で咽ていると、師匠はようやく瞳を開けて。また、優しげな表情に戻って。ゆっくりと、ローザの頭を撫でる。
「…ローザは、いつも理由を聞かないのですね」
そうしていった言葉は、どこか、寂しげに聞こえて。
「良いのですか?」
と問いただされるとちょっとばかりローザは不安になる。
「良いの」
けれど、敢えてキッパリと答えて。ローザはくるりと踵を返して歩いていく。
その途中。すっと、空に伸ばしたローザの手に、普段持っている本気狩棒よりもかなりファンシーな風貌の杖が現れる。昔、某月の戦士が持っていたような。
「ローザはねぇ、自分でわかるぶんだけわかってればよいのー」
ぶん、と力任せに振られた杖から現れたのは一つの大きな桜色の水晶。その中には、疲れ果てた深駆たちの姿が移っていた。
2
早く、落ち着かなければ。今動けるのは自分だけなのだ。
ローザが去ってから暫く。深駆は宙に放りだしたままになっていた自分をなんとか取り戻し周囲を見渡す。
深駆以外は皆傷を負っていて、未だに意識が戻っていない。
深駆はかなり落ち込んだ。戦わなければならないだろう相手との圧倒的な力の差に対してもそうであったし、他の面子がボロボロになるまで戦っていたというのに、自分だけがほぼ無傷で放心してたという事実に対してはなおさらであった。
何故か銃を携帯している咲にくらべればそれほどでもないかもしれないが、深駆もだいぶこの世界に馴染んで、戦いにおいてもそれなりに役にたてるようになっただろうかと思っていた矢先だっただけにショックも大きい。
けれど。
「自分より、まず咲殿達を助けないと」
まずは、一番近くにいたヴィルの様子から確かめようか。
と深駆が立ち上がったところ。ヴィルはその上半身をゆっくりと起き上がらせる。
「ヴィルさん。大丈夫だったんですか?」
とりあえずヴィルは大丈夫だとわかり、安心して問いかければ、苦々しい声でヴィルは応答する。
「あぁ。打たれ強さにはそこそこに自信がある。あんたの方は怪我がなかったんだな。良かった」
悪気のないヴィルの言葉なのだろうが、怪我がなかった、という言葉が何故だか深駆には責められているように思われて。
ははは、と乾笑いを漏らすと、
「ヴィルさんは咲さんの方を先に頼みます」
とそのまま先刻の話を流してルカの方へと向かった。
そのルカはといえば、意識がない。
深駆はそう確認するとルカの頭部をそっと後方へ反らせ、気道を確保する。
呼吸は…ある。
深駆はちょっと安心した。ルカの呼吸もそうだが、人工呼吸をしなくてすみそうだ、という安心も少なからずある。十六の青春真っ盛りなお年頃の深駆には、かーなーり、人工呼吸は抵抗があったりするのだ。もちろん、緊急の時にはそんなことは考えずに行動できる程度の良心も判断力も深駆は備えもっているけれど。
「傷は打ち身数箇所…出血はないか…」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっ」
刹那。
咲らしき、言葉にもならぬような叫び声らしきものが聞こえて。慌てて声のした方に深駆は振り向くと、咲が口を押さえて蹲っている。
「ど…どうしたんですか?」
「それが薬を飲ませたらこうなった。」
真面目な表情で答えるヴィルの手にはやたら可愛らしい『即効☆強壮剤』などというプレートのついた瓶。
もしかしなくても
「それってここにあったのですか?」
「あぁ。それ以外に俺はもってないが。」
言うべき言葉も見つからず口を引きつらせている深駆に相変わらずの調子でヴィルは続ける。
「意識はすぐにもどったんだがな…先刻ずっとからこの調子だ。」
「とーおーぜーんーでーすーー」
地を這うような声をさせて、やっと復活してきたらしい咲が口を挟む。
「すっっごい不味いんですよ、ソレ。良薬口に苦しどころの話じゃないですよー。」
「そうか?俺が試しに一口飲んだときはそうでもなかったが。」
「…鈍感な人にはわからないかもですがぁ。」
「何かいったか?」
「んー?なんにもですよ。それより、一応効き目は抜群みたいですからぁ、まだ起きてないならルカちゃんに使いませんか、その怪しげな薬。」
もちろん、自分だけがこんな不味い物をのんでなるものか、などということは思っても口には出さないのが咲である。
と、そこにパシリ、とした声が響く。
「遠慮させていただきます。」
声のするほうへと全員が顔を向ければ完全回復、とまではいかなくともとりあえずのところ意識だけは回復したルカが立っていた。
「あのローザとかいう娘が作った薬は信用できませんから」
「いや、でもローさんがつくったとは限らないですし。ローさんもたまには成功があるかもしれないですし。」
刺々しいルカの口調に、普段の習性か、深駆はローザが敵だということを忘れ、あまりフォローになっていないフォローをいれる。
「ぬーちゃん優しー。やっぱりろーりーたー」
「違いますって!」
「違うんですかぁ?」
「違うっていってるから違うんじゃないかなぁ?んーでもねぇどっちでもローザは嬉しいよぉ。」
「あ。それはどうも。………ってローさんっ?」
他の三人が声のした方へと身構えるのから、一瞬遅れて深駆も身構える。しかし、声のした方にローザの姿は見えない。ただ、その場にはいつの間にか現れていた桜色をベースにしたような水晶が浮かんでいる。
「えっとぉ。今ローザいろいろ忙しいからね、今回は声だけなのぉ。よろしくー」
のほほんとしたローザの口調にも、先刻の惨状から立ち直り切れていない四人は警戒を解こうともしない。
「今度は、何の用だっていうのですか?私の球まで差し上げるわけにはいきませんけれど」
ぎゅっと胸の球を握り締めてルカは水晶を睨みつける。本当に、睨み付けたい相手はその場にいないけれど。
「んー、球はねぇ、お師匠さまもういいんだって。代わりにねー皆を強くしてって頼まれたのぉ。というわけでー皆にはローザ特製特訓コースを体験してもらうよー」
「お前に特訓などしてもらういわれは無い」
そう言った、ヴィルの声は半ば怒鳴りつけるかのように強い。
「ローザって呼んでって言ったのにー、くすん。それにぃ、特訓も受けてもらわなきゃローザこまるの。お師匠さまのお願いだし、最低球は守れるくらい強くならないとー、お師匠さまもヴィーちゃんに球を返せないと思うよう?」
「返してもらわなくとも自分の手であの球だけは取り返」
す、と意気込んだヴィルの言葉が終わろうとしたとき。ポップン、と平和的な音がしたと同時に目に見えて空気が歪んだ。
「パンカパカパーン、ここで重・要なお知らせー。現在皆のいるお師匠さまのお家を、『チェシャ猫回路』に移転したのー。そっしてぇ」
ぶぅん、と。今度は桃色の水晶が歪んで、四つに割れた。
『この四つの水晶の中の地図に、それぞれ本人の現在地が黄色、ローザがピンク、お師匠様が紫、って感じに居場所が表示されるようになってるのでぇ、皆ローザとお師匠さまがいるところ目指して。辿り着いたら『チェシャ猫回路』から出られるから、一人一個ずつこの水晶もってがんばってローザ達のとこまできてねぇ☆でわでわ〜』
四つに割れた水晶から同時に流れていたローザの間延びした声は、一方的に話してしまった後、同じように一方的に終わった。
「で、どうします」
ローザの声が去って後。誰もが黙り込んだままの状況に終止符を打ったのはルカだった。ルカは一言そう切り出して、閉めていた窓を大きく開け放つ。
あまり日光は入ってこない。
どうやらここは鬱葱とした木々の生い茂る森の中のようだった。少なくとも、ここに来たときに見かけたような童話的な可愛らしい花畑などは見かけられない。遠くから、川の流れるような音が聞こえてくるくらいで、後は無音。風の音も、鳥の鳴き声も、何もしない。なるほど、ここが『チェシャ猫回路』かどうかはともかく確かに先刻とは全く別の場所である。
ここにローザが現れなかったのももしかしたらこの空もあまり見えない風景が気に食わないからなのではないだろうか。と、ふとルカは思いつつ。
誰からも反応が無いことに多少のいらつきを含んだ口調で再度ルカはといかける。自分としてもいらだちを顕にするのは良い気分ではなかったけれど。今は、あまり感情のコントロールができない。
十歳の少女に容易く敗れたショックが、まだ尾を引いていた。
「どうしますか?」
「といわれててもー選択肢はほとんど無くないですか?ロザリーの思惑に乗るのは少し癪ですがぁ、とりあえず賢者に会わないと僕とぬーちゃんさんはお家に帰れませんですし」
ね、ぬーちゃんさん。と話を振られた深駆は、まさか本来の目的をすっかり忘れてました、と言うわけにもいかず慌ててこくこくと頷く。
「確かに、そうするしかありませんね。こちらの方としてもここからでるためと、今回の騒ぎの理由とを賢者のほうに確認したいですから。本当に不本意ですが、この回路を抜けて進むしかないと思います。…この際多少私達が利用されることになるかもしれない、ということくらいは我慢しましょうか」
そうルカが言い終えると最後、未だ発言のないヴィルへと全員の視線が集まる。ヴィルは憮然とした表情のまま暫く黙り込んだままで、それから漸く口を開いて言った。
「俺は、ヤツらに利用されたくはない。このなんとか回路を壊して、賢者の裏をかく形でヤツのところにいけないか?」
「それはー無理だし無駄ですよむー。どちらにせよ賢者のとこにいくならこの回路ぶっつぶすよりこの回路抜けていった方が楽そうなきがしますしー。第一このメンバー魔法使いいないのに回路をぶっつぶすってのは無理やもー」
「だがこのまま進むのはわざわざヤツの罠にはまるようなもんだろう。そちらの方が危険かもしれない」
「罠には、もう既にはまってますですねぇ。でも罠は僕たちを殺すものじゃないですよ〜…残念ながら彼女は今のところ殺そうと思えば僕たちを殺せますから」
「しかし…」
「いいかげんにしたら?ヴィルさん。」
いつの間にやら、窓の方からヴィルの前へと移動してきていたルカはじっとヴィルの目を見据えて言った。
「どうしても、あの娘の助けを借りず自力で…貴方だけの力で、球をとりもどしたいという気持ちわからなくもないですけれど。今はそういう状況ではない、貴方ならわかっていると思いますが。少なくとも、私の知る限り貴方はそれがわかる程度の理性はもっていたと思いますけど」
ヴィルは返す言葉も無く俯いて。またもや沈黙が戻ってくる。
そこに、おずおずと深駆が声をあげる。
「もしかしたら、賢者さんは自分達に会いたいだけなんじゃないですかね?」
「へ?」
「ほら、球はもういいって言っていましたし。利用するってことにしてもルカさんたちはともかく自分には何もできませんし…俺がいても足ひっぱるだけですし…」
自分で言いながらどかどかと落ち込んでいく深駆。しかしなんとか気を取り直して更に続ける。
「それに賢者さんには忠実そうでしかも強いローさんがいますから、わざわざ自分達を利用する必要ってないと思うんですよ。だから、特に意味も無く会って見たいだけで、この回路に危険はあまりないかなぁ、と。」
希望的観測を述べてみる深駆に、妙にその場は和んだ。むしろ脱力したといえる。
「…いや、会いたいだけのやつがここまでするか?」
「さすがにそれは…」
「それはそれでステキですですがぁ」
一瞬して、深駆を残した三人は笑い声を上げた。
そしてひと段落するとすっきりとした表情でヴィルは言った。
「あー…なんか自分がいってたことがすごいアホらしくなった。とりあえず進まなんとしょうがないしな。行こうか。それと先刻は…」
「ん?」
にやん、と意地の悪い表情をして咲がヴィルの方へと聞き返す。
ぐっ、と言葉に詰まったヴィルは結局言おうとした言葉は呑み込んだままで。
更に咲は楽しげに笑みを濃くして言った。
「良いのですよー。そういう間抜けなとこ、嫌いじゃないですから」