20


「ヴィンちゃんさんは遅いですね」
咲は呟く。
「かといって動くのは危険ですね」
マフラーから銃を取って弾を確認して、服の裏ポケットからバタフライナイフを取り出し、腰に差しなおした。
「しかし既に死んでいる可能性を考えると出ないのは危険です」
咲はヴィルが向かった方向と逆回りに、壁を背にして進む。
「暇ですし」
 白薔薇の中を進んで家の角まで来ると、顔だけ出して回りを確認する。家の側面にあたる場所は、庭のようだった。かなり広いスペースがとられていて、塀はなく、私設の花畑の隣に森がある、といった具合だ。
 そこには表に負けず劣らずの原色のチューリップが、縦一列に並べられていて、見ていてすごく嫌な気分になった。青いチューリップなんかも見受けられ、此処が自分たちの世界でないことを再確認した思いで、更に気分が悪い。
短い溜息をつく。
そのとき、
ぽぴん
「ぅにゃ」
身を乗り出して左右を見ると、例の平和な音とともに、咲は何かに頭をぶつける。
例の結界らしい。曲がり角に、側面の壁に垂直に、それは張られていた。咲は頭をさすりながら眉をしかめる。
「…?」
妙だ、と思った。
家の回りに、壁に平行に張るならまだしも、チューリップ園の手前に張ることはない。余程護りたい花なのか、この先に何かあるのか。
 銃身で結界を叩く。
結界に沿って横に銃をずらしていくと、それは途中で切れていた。
「………? 意味ないじゃんです」
妙だ。
思ったそのとき、声がした。
「ああ、貴女ですか」
声の方に目を向ける。
「侵入者は」
そこには、ナイフを逆手に構えた、長身の女性が立っていた。
長く黒い髪を無造作に掻き上げた彼女の肩のあたりに、透明な球体が浮かんでいた。
魔法使い、だろうか。
「………どなたです」
とりあえず時間は稼いだほうがいいだろうと、距離を計りながら咲は尋ねる。
「この家の者ではありません」
相手の女性が答えた。よく通る、ひどく自身に満ちた声だったが、否定形で答えられたのは初めてだった。
「………立場的にはどうなんですか」
咲はこういう場合の切り返しかたを心得ない。
「私にもよくわかりませんが、故あって−−故、もよくわかりませんが、貴女を倒さなければならないようですので」
「…やっぱ僕は相手をしないといけないですかね」
「どうでしょうか」
少し笑って言って、いきなりナイフを投げつけてきた。
考えられない距離を、しかも真っ直ぐに飛んだ。咲は上半身を少し逸らしてそれをかわし、後頭部を結界にぶつけた。
平和的な音が響く。
「…え?」
異変に気が付いて手を伸ばすと、来たときとは違う場所にそれは張ってあった。結界が切れている場所が少しズレていて、今は穴が咲の前に来るかたちになっている。咲は左に移動する。
しかし次々にナイフが飛んでくる。一本を更に左にかわし、次は伏せてかわした。飛んでくる感覚は短いといえど、距離があるので軽く避けられる。咲は、お花畑でこういうのは嫌だなあとのんびり構えていた。
 伏せてみると、下の部分が完全にあいていることに気が付いた。軽くかがめば楽にくぐれる。次をかわすとすぐに、咲は結界をくぐって数歩前に出た。そこでつかえて肩をぶつけ、また音が聞こえる。
「………あれ?」
かがんで後ろに下がろうとすると、戻れない。動く度に音がする。
「あらら」
その間にも相手は無表情に刃物を飛ばしてくる。この様子では相手の得物が尽きることはなさそうだ。
「…どうなってるですか…」
 一度森へ逃げ込もうとも、側面も封じられているようだ。おそらく相手の女性と自分の間には無数の小さな結界が張られていて、それは自分が動く度に場所を変えるようだ。しかも、ナイフが飛んでくるところからして自分の前だけ常に結界が空いている。来た道は戻れない。
 妙どころではなかった。そのわりに平和な音ばかり耳につく。
 前に進めない。結界を相手が自由に張り替えられるとしたら。
 攻撃が出来ない、防御も無駄。
これは。
 ようやく焦り始めた。


 ルカがローザに借りた武器は、説明書によれば『南の島のお姫様の歌』というどこかの石けんやさんが付けたがるような名前で、愛称はみなひめだとわざわざ書いてあった。ネーミングについてはよくわからないが、ルカは名前に「の」が多いのが気にくわなかった。
 「みなひめ」は限られた数、一定の大きさの結界の座標を、自由にかえられるというもので、ルカのような直線型の攻撃を主とする人間にはもってこいらしい。
 攻撃するときだけ相手の前の結界を全部左右にずらす。相手が動いたらそれにあわせて戻す。細かい作業は得意なほうだったので、なんとか扱えそうだと思って選んだ。
 ルカにはローザの魂胆が有る程度見えていた。「お師匠様」に侵入者のことを知らせるのに、自分が移動する必要は全くないし、彼女の部屋をそれとなく見回してみたところ、通信機器と陣は一通りあった。
 ローザの移動は明らかに意図的。充電だとかなんだとか言って自分たちを家に呼んだのも、どうしてもわざとらしい。恐らくその理由は、自分と深駆を試しているか、消そうと思っているかだ。珠の為か、あるいは、「師匠」の意図か。
 なにせよ、今は返り討ちにするしかない。即交戦を選んだのはそういう理由だ。後者であったら「師匠」が何なのか、賢者が何なのかを彼女に聞くのも危険だ。今は流されたほうがいい。
 とりあえず「相手」を知る、情報を増やして損はしない。

 相手が結界にぶつかる音がしている。
 借用の相手が相手だが、悪い武器ではないと思う。
 気に入らないとはいえ(名前が)、かなり優勢だったりする。


 21


 ヴィルは相手が振りかぶるのを確認すると、跳躍してソファに飛び乗り、そのまま身体を回して後ろへ飛んだ。その間ソファが傾いだので上手く飛べなかった。
 出てきた相手が右手にしているのは、自分の知識からソーサリーグローブ。紫水晶が光を放っている。恐らく自分を刺客かなにかと勘違いして(当然といえば当然だが)「賢者」がよこしたものだろう。
 しかしそれにしては作戦が甘すぎる。足場を崩して、溜めなおしてから攻撃するつもりだったらしい。ヴィルは少し笑う。なめられているのか。
 案の定、相手は自分が飛んだのに気づき、慌てて突っ込んで来た。
「…一度かわせば、あとは」
ヴィルは刀を柄を握りなおして構える。相手は妙な格好をした、小柄な人間だ。
 首を狙って飛ばして、最小限の力でケリをつけようと思った。魔法に対する苦手意識があるからというわけでもないが、早いに越したことはない。
刀を横に倒して少し引く。
横に凪いだ。
「…っ」
空気が斬れる音がした。
手応えはなかった。
「………」
「は」
思わず声を出す。
かわされた。
………かわされた?


何とかかわした。
深駆はとっさに体勢を低くして剣先を避けた。
勢い、前につんのめる。
0.12、
そのまま相手の右脇に入って左手で床に手を付き、身体をねじって、相手の背中を狙う。
0.28。

今!

「!」
「   っ」
やったかと深駆は思ったが、刹那相手は左にずれて拳をかわし、向き直って上段にかまえなおしているのが見えた。
はずしたはずなのに、何故だか、手応えがあった。
ぱあん
何かがはじける音がして、深駆は横倒れになる。
そのまま右手を床にうちつけるが、既に有効時間はすぎていて、何も起こらなかった。
「    」
倒れながら、ああこれは斬られるなと思って暫く待ったが、それもなかった。痛みがないから、死んだわけではなさそうだ。
「…?」
…早くも夢オチ? などと考えて、しかし一応慎重に身体を起こすと、相手は剣を振り上げたまま固まっていた。
その顔に表情はなかったが、明らかに青ざめている。
「…?」
ゆっくり視線を移動させると、何か小さい、肌色の物体が相手の肩と頭と足についているのを確認できた。
『あぎー』
物体は無駄に高い声で叫んだ。
よく見てみると深駆のまわりにもそれがいくつかあって、床をはいずりまわっている。
そして口々に叫ぶ。
『あぎー』
一匹が深駆のほうに寄ってきた。
「……………!」
気づいた深駆は高速で起きあがる。
「…ッ あぎ様!!」
 あぎは衝撃を受けると護身の為分裂する性質があり、今回は16分割した。

飼い主は苦戦を強いられている。


 22


 こちらはその飼い主のほう。さっきから飛んでくるナイフを避けてばかりいた。
 しかし、結界で身動きがほとんど取ることは出来ないでいる。それに加えてさっきからナイフが飛んできている。これで苦戦しない方がおかしい。
「むぅー、こんな時にあぎがいてくれたら後ろからどうとでも出来るのに」
思ったことをぽんと言った。ルカにはそれが聞こえなかった。
 ルカは結界を相手の後ろと左右にはって動けなくした。それに気付かずに動こうとした咲はかなり驚いた。
「うわわ、これじゃ前にしか行けないじゃん」
前からはナイフ、そして後ろと左右には結界。動きが取れるには前と上と下だけだった。ナイフが来た位置でどちらに動くか考えた。
 ナイフは咲の足目掛けて跳んできた。頭の回転が早く、一般的に頭が切れると言われている咲は迷わず上に跳んだ。
 ナイフは結界にぶつかり平和な音を立てて地に落ちた。それから咲は少し前に飛び出して撃った。弾は外れたものの、ルカの警戒心は強くなった。
(一体今のは?新式の弓矢?)
と人間界での戦国時代と同等の考えとした。
 思わぬ反撃が来たがルカが優勢ということに変わりはなかった。相変わらず咲は結界に戸惑っている。ナイフを交わしながら結界を逃れるのに必死でさっきの一発しか撃つ暇が無かった。

 しばらくそんなことをやっていると咲の動きがどんどん早くなってきた。ルカが結界を動かすのがワンパターンだったからそれを読んだのだった。
 それから結界目掛けて何発か撃つと、結界が音を立てて壊れた。
「やったー!壊れたー」
楽しそうに言う咲。何発もの弾丸の衝撃には耐えられないことがはっきりとした。
 それから結界を次々と壊して、ついには全部の結界を壊した。
「全部の結界が壊れるとは……。ローザさんのところにあるのは全部欠陥品ですね。とくにこういうものは」
なぜか納得できる。深駆のソーサリーグローブといい、このみなひめといい完成品と一応は頷けるものの、それでも一般から見たら欠陥品ばかりだ。
「こうなったら小細工無しですか。あの黒いものには注意しないと」
拳銃をかなり警戒している。それもそうだろう。いきなりものすごい速さで弾が飛んでくるのだから。
「結界はもう無いですねぇ。よかったよかった」
それから咲は慎重に狙いをつけて撃った。その弾はルカの左肩をかすめ、家に当たった。銃声が森の中に轟いた。
 ルカが声を上げて左の肩を抑えた。そこから鮮血が流れ出ている。
「結界を破るだけでなく、こんなにも強い兵器だったとは……」
あくまで冷静な態度を崩さなかった
 咲においてはこれ以上撃とうとしなかった。到底戦える状況ではないと感じ取ったからだろう。














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