「諦めろ」
第一声がこれだった。
「え……」
「早々にここを去れ」
「え、いや……」
「安心しろ、お前は帰れる」
「!……」
 唐突に飛び出してきた嬉しい言葉。確かに一番欲しかった言葉だ。けど……ここで納得するような自分はいらなかった。
「どうせ勝てはしない。連中のことは残念だが、時間も無い。それでだ、とりあえず今からお前は……」
「嫌だ!」
 思わず叫んでいた。
「……」
 しかし、返答が無いのを知って、目の前の相手が誰かを思い出す。同時に、その恐ろしさも。
「あ、いやその、こういう重要なことはどうも自分一人には決めかねるようだから……」
 咄嗟の言い訳を繰りながら、厳しく鋭い視線を感じている。
「……」
 うっわー、馬鹿やった、馬鹿やった、ハッハッハーだ!
「……」
……冗談抜きで、まずいかも。
「……ついてこい」
「え?」
 隣をただすれ違った。
「ついてこい、と言った」
 背中を向けた声に戸惑う。そして、それはそのまま久女がエレベーターに入ってからだった。
「手を貸せ」
 背中は向けられたままで、肩越しにわずかに覗けた瞳の以前の硬度が薄れているのを感じたのは。
「無理にとは言わん」
「い……いや、自分なんかでよければ」
……皆のことは確かに気になる。でもこの場から一人で皆を探すのも得策ではない。自分の方向感覚ほど信用できないものはないからだ。かといって、また下に降りてから塔を上って行くってのも……たぶん、誰も持っていちゃくれないだろうし。あ、いや、あくまで自分を信じて先に進んでいるはず。きっと、心配ぐらいはしてくれている、はず。だから、とりあえず今はこの人についていっても大丈夫なはずだといましがた思いはしたのだが……。
「さっさと来い」
 強い語調の前に早足でエレベーターへと。
「具体的には何を?」
「少し待て」
 壁面に手を置いて慎重にこれをなぞりだした久女。すぐにその手は静かに止まって、人差し指が壁の一点を押した。すると、素直に凹んだそこ。同時に足元が揺らいだ。
「い、今何を」
「まあ、待て」
 下へと動き出したエレベーター。あの壁の凹みをスイッチと知って、これがゲームなら間違いなくレアアイテムが待っている嬉しい展開だな、なんて思ってみる。
 しばらくして独特の浮遊感。足元が落ち着いたここで、何故か扉は開かない。
 自分が疑問を口にする前に動いた久女。見ると、扉の反対側の壁にはレンガの茶とは明らかに異質な銀のプレートがあった。中心には赤い石が埋め込まれている。
 無言でこれに手をかざした久女。自分も近くに寄ってみると、プレートにもなにかの文字が刻まれていて、正にいかにもな感じ。
 隠し扉かな?それとも一気に下がって地下とか。反対に上がって、雲までとか。いや、鍵が隠してあるとか、これでどこかのロックが解除されるとか。
 一体、何が……。
 ……。
 ……。
 ……なにも……起こらない。
……。
……。
「駄目、か」
「なんじゃそら」
 あ、
「……」
 沈黙。
やってしまったあぁぁぁーー!!うわあぁぁぁあぁぁぁーー、よりによってこの人にいぃぃぃぃ!!
「……」
 視線。
 いやしやいやいやいや、悪気はないんですって。別に茶化そうとか、からかおうとかそんなのは全然全く完全にナッシングなんですって。これはもう条件反射でどうしようもなくてどこまでも不可抗力なんですがね。しかも、ここに来てからはさらにひどくて、いや、でもしょうがないでしょう。自分が言わないと全部素通りしちゃうような面子ですし、あんなおいしいのをほっとくなんてことは、礼儀知らずにもほどがあるぞこんちきしょうみたいな感じですし。いや、ですから、要は、ですからですね……なかったことにして欲しいな、なーんて、あははっはははっははhはははっはははあははははhはははあっはあははああははっははaははははhははは……。

  何かが頬をかすめたのを感じた
瞬間、後ろで恐い音

 思わず首をすくめて、その音を吟味した。石塀を金槌で思いっきり殴ったような鈍い鉱物の音と、廊下にバケツをぶん投げたようなけたましい金属音。
 顔を上げると久女の右足がゆっくりと地面に降りるところだった。
「行くぞ」
 何も無かったように歩き出した久女。振り向けば数秒前まで壁だったそこは、扉があったことを示唆する様に長方形の穴が開いていた。そして、その奥へと空間は続いる。
 その狭い通路は明らかに金属製。この城の一見古風だった印象のある分、隠されていた側面を、見てはいけないものを知ってしまった気がした。
 久女の靴の砂を踏みしめる音が早くも途切れた。その歩みにためらう様子はない。
 けど……まずいと思う。この先の危険を直感的に感じている。こいう所は他を全て回った後に拾った宝で戦力をかためてから行くか、さもなくば、しっかりセーブをしてから行くべき所。なぜならここまでの演出をしているからにはこの先にあるのはもはやレアアイテムではない。隠しボス、だ。だから最初から全滅覚悟の様子見か、満を持しての勝負かが自分の中の定石であって、まだまだすることはあるのに、仲間もたった二人で、一つしかない命を危険にさらすようなまねは、正直ごめんだ。
「どうした」
 ……ここはちゃんと謝るべきだ、じゃなくて断るべきだ。せめて皆も連れて来た方がいい。怒らせてしまうかもしれないが、命には代えられない。それにだ、よくよく考えれば一度はこの人に勝っているわけだし、万が一取っ組み合いになってもなんとか……なるのか?つーか、勝てたこと自体がまぐれというか、あの時の感覚が奇蹟というか……。いや、でもこの人も前ほど恐くないような気がせんこともないし……。
「やっぱり……」
 言いかけながら、目に飛び込んだ鉄板。中心のひしゃげた、恐らくは扉だったもの。あの一瞬で蹴り破られた、酷く変形した、分厚い隠し扉。
 そういえば、彼の蹴りを見たのは初めて……というか、見えなかったんだけど……。
「来ないのか?」
「い……行きますとも!」
「ならさっさと来い」
「はい!」
 この先にあるものが危険と決まったわけではないし。やっぱり、命には代えられないと激しく想う。



「『フェンリルの両眼』?」
「そう、それに二つの珠が収まった時、この世界は終わる」
 この通路に入って10分は経っただろうか以前と通路は続いている。どこまでも変わらない景色が辛い。前のあの背中がなければ先への不安に潰されてしまうだろう。
それにしても、なんだろうかここは。下から見上げた時にはこんな通路は金属でなくとも見当たらなかったはずだ。外観からは判らない様にカモフラージュされてたか、この通路自体があそことはまた別の世界に在るのか。
「その祭壇を自分達で壊してしまおうと」
「そうだ、それでこの世界の消滅はとりあえず免れる」
「『とりあえず』?」
「奴なら再び造ることも不可能ではない」
「奴、とは」
「決まっている……ラティスだ」
「……」
 彼は今、確かに『ラティス』と呼び捨てにした。少しは安心してもいいのだろうか。でも、彼がラティスに敵意を持っている事自体を嬉しく思うのはなんか気が引けるような。実際、そんなことを考える余裕など無いのだろうけど……。
「どうした?」
「あ、いや、どうして久女さんはこの通路のことを知っているのかな、と」
「ラティスをつけた、正確には尾行、監視専門の魔物を使って鬼城に探らせた」
「ん、じゃあ、この先のこともご存知で?」
「いや、この先を300メートル程行ったところで広がりのある空間に出る。そこで扉を確認したが、中には入らなかった」
「というと」
「なんらかの力場、恐らくは何者かのなわばりだったのだろう」
「……番人」
「そうだ。そこに異物が入ったなら見逃しはしないだろうがその存在だけで充分だった」
「そこに、あると」
「ああ」
 やっぱり、隠しボスか。まぁ、相手が魔王を超越した神ではなくあくまで手下だというのが救いと言えば救いなのだけど。
 あれ?でも……。
「そいつは久女さんよりも強い、と」
「なぜ、そう思う?」
 言って、怒らせるかもと後悔したが、これは意外な反応だった。もしかすると、そこまで恐い人でもないのかも。
「いや、だって、自分の手でもあった方がいいんですよね」
「……」
「久女さん?」
「……ローザ様を除けば、ラティスの手の者の中で単身で俺にかなうやつはいない」
「複数なら?」
「数を言い出したらきりがない。要は『なわばり』を展開するのだから、番は一人だ」
 敵のどうにかなりそうなのを知り、一応の安堵を得るが、
「なら、自分がいなくても、いいんじゃ……」
「……」
 前の背中の反応が途切れた。
「一応、用心しとくってことですか」
「……」
 また?いきなり無視を決め込んだとか。
「ま、まあ、自分としては今だけとはいえ久女さんが仲間というのは頼もしい限りですよ」
「……」
「久女さん?」
「……」
 なんだろう。嫌な、沈黙だ。
「仲間……ですよね」
「……さあな」
「え?」
「実は俺にも判らない」
 言葉から微かに感じ取れた皮肉が不安を抱かせた。
「それってどういう……」
「……やっぱり、いかんな」
 久女の足が止まった。
「お前と話していると、どうも調子が狂う」
 振り向いて、真っ直ぐ自分を睨んだ。
「……」
 『どうして』と聞いてはいけないことを知っている。
「疑うことをしないからだ」
「!……」
「逆に気が引ける」
「……」
 だんだんと『敵』になっていく……。恐いけど、それ以上に、嫌だ。これ以上会話を進めたくない……。
「今、3人は」
――え?――
「ローザ様と戦っている」












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