『咲、酒酒』
「ヴィンちゃんさん、僕ちょっと威嚇してみようと思うんですが、どうでしょうか
ね」
「お前がいいなら好きにすればいい」
咲は頷いて、
「じゃ、ルカちゃん頼みます」
ルカはみなひめを発動させた。そう複雑にする必要もないと判断して、四、五枚結界を張った。咲はあぎと銃をセットして撃った。弾はぽぴんぽぴんいいながら、時間をかけてローザの方へ向かっていく。
 こちらに闘う意志があることを明確にしなければならないし、10才かそこらのちびっこに威嚇射撃は効果大だろうとあぎと咲は見た。まあ賢者の次の実力保持者ローザのこと、あたることはないから丁度、

「ばすっ」



当たった。
肩に。

当たるし。

当たるんだ。

 ローザの身体が吃驚したように少し動いて、血が飛び散った。
「あちゃぁ…」
弾はもろにローザの肩に当たった。角度的に貫通してはいないだろう。
「………あれ……?」
しかもご本人、今気づいたようである。目を丸くして、血のついた蒼い髪を見ている。
 一同は冷や汗を流した。
 ローザは今やっと、撃たれた肩を押さえた。
 賢者の次の実力はどうした。
 同時に皆が思った。
 これは油断?
 油断?
 油断というか、
「《哀しくて御乱心》…」
ルカが呟いた。咲は舌打ちして顔を歪めた。
「…うわあ………」
ローザがふらりと立ち上がって、無表情に言った。
 その髪は床につきそうに長い。
「…うわあ………」
その声はあまりに感情がこもっていなさすぎる。
 痛いという意味の言語ではない。
 痛いならもっと痛そうに喋る。
 つーか、痛いなら、もっと痛そうに喋れ。三人は、自分でもよくわからないが、願うような気持ちでそれを見ていた。
 前に立っていた咲は、新しい銃を取り出して安全装置を外した。
 ローザはぶつぶつと口を動かし始めた。
「…いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい」
「………」
呪文の詠唱ではなかった。
「いたいじゃないいたいじゃない、いたいじゃない、なんなんだよ、うるさいよう…」
「………」
「なんなんだよ… うるさい    う  うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい う るさい!!!!!!!!」

「うるさいっ!!!!!!」

床が揺れた。
 空気が歪んで、どこかが発光した。
「!?」
続いて轟音。
 三人は飛び上がって、同時にルカが張った結界の上に下りた。床には無数の穴が穿たれていく。穴からは微かに閃光のようなものが出ている。床に何か魔力の元でもあるのか、あるいは残影なのか。
 雨のようだった。
 雨。
 雨は床に跡を残して、部屋の中央部、透明な壁の中に吸い込まれていく。
 数百数千の光の線が、床を、壁に向かって流れていく。花火にも似た細かい音がした。
 三人はみなひめから下りてそれを眺める。雨自体はすぐに止んだ。
 あまりにも的はずれな攻撃だった。穴が穿たれたのは、三人よりも十メートル程先の、ほんの一部分であったのだ。
 しかしこれだけの威力。
「あの壁は、魔力を吸収するようです」
ルカは溜息混じりに口を開いた。
「此処は、謁見室か何かなのではないでしょうか。全ての攻撃はこの部屋において無効になるのでは…」
「成程、暗殺防止みたいな」
「あの青ちびの攻撃も無効になるなら、この部屋に俺たちを通したのは道理に合わないんじゃないか。魔法使いだろう」
次の攻撃はまだこない。今の雨を的確な位置に、あるいは部屋全体に繰り出されたらただでは済まないだろうという予感が、全員にあった。
 ルカは軽くローザを見やる。肩で息をしているのがわかった。目はどこも見ていない。
「気づいていない、という可能性が考えられます」
「何に」
「自分がどこにいるのか」
ヴィルは頭を掻いて、咲は腕を束ねて、それぞれ嘆息した。
 哀しくて御乱心。
 哀しくて。
 賢者が死ぬと言っていた気がする。
 賢者の意図、その弟子の意図が、全く読めない。
 四人は試されているという。
 そして深駆と咲が、此方の世界へ来たというのは偶然ではない。賢者の何かに関わっている。わかっているのはそれくらい。
 突然のローザの暴走。
 賢者の弟子はもう使い物にならないと三人は予感する。
 わからない。
 このくにはどうなっているのか。
 どうなってゆくのか。
 世界の中枢が、今崩れている。
 本来の目的を見失う程に、その不安は大きい場所を占めた。
「…何でこんな頭悪いポカばっかりやってんですか、あの人は」
咲は敢えて苦笑した。
「この場合、術者の精神がいかれて魔力が制御出来なくなってると考えるのが妥当だ」
ヴィルが言いながら、左手の剣を右に持ち替える。
「それは…   っと」
「…大きいのが来ますね」
ルカは構えた。
 ローザが目を見開いたのがわかった。

「うあぁぁぁぁぁあああっぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!!!」

突然の絶叫。
 動きは全く読めない。
 だからその意図もわからない。
 ルカは、新たにみなひめを張った。
「!」
 瞬間、咲の手の甲に痛みが走った。
 天井から無数の矢が降ってきた。
 範囲が広い。壁から此方側全体に及ぶ。
「く…」
みなひめがあまりに強烈な、無数の音をたてて、不協和音を奏でた。
 否、矢ではない。光と言うべきか、電気のような。雨は確実に威力を増している。
 しかしやはり、雨はまもなく止んだ。
 前回と同じように、降った雨は川になって、部屋中央の壁に吸い込まれていく。
 三人はそれぞれに結界を蹴って着地、ルカが肩で息をしながらその上に更に結界を張った。先に張ったものは崩れていた。前にルカ、ヴィル、後ろに咲が、ローザを正面に立つ。
「大丈夫ですかルカちゃん」
「…ええ」
ルカが振り返って微笑を返す。
「っておい! …」
ヴィルがものすごい勢いで咲を振り返って、咲と目があった。一瞬の間の後、出来るだけゆっくり戻した。いろんな衝動を抑えつつ顔には出さない。
「…お前こそ、大丈夫か」
「ああ、なんか擦ったですねえ」
咲は血の滲んだ手をひらひらさせた。治療方上出来れば怪我をしたくない身だが、掠り傷のようだった。しかしまだ痺れている。
「全然平気です」
「何だ、今のは」
ヴィルはなんとか気を取り直した。
「今のを受けてみてわかりました。あの閃光、おそらくあれは魔力そのものです。まともに喰らっていたら手首から下、飛んでいたかもしれません。下の光の流れに触れるのも、同理由で危険かと」
咲は「はあ」と自分の手を眺めた。
「…ローザさんは今、本当に自分を見失っていらっしゃるようです。簡単に言えば、魔力を『技』として発動させられない状態にあるのでしょう。今のは『力そのもの』に近いものを発していたようです。濃度の高い残影が見えます」
ルカは前の穴を指さした。咲とあぎは同じ方向に同じ角度で首を傾けた。
「ふん」
ヴィルはローザに目をやった。目を床にぶつぶつやっている。
 予測出来ないなら避けるか庇うか出来るようにしておくまでだと、神経は前方に、会話に耳を傾けることに決めた。
「ええとそれはつまるところー、彼女の技のヴァリエーションがないってことですかねえ」
「ええ、そのとおりです」
『相手の技がひとつしかないってんなら、やりやすいじゃねえかよ』
理系のあぎが久々に口を挟む。
「理論上そうなりますが、いかんせん強いですから。ひとつ当たれば恐らく、動けなくなります。近寄れるかどうか」
「ふーむ」
咲があぎの頭のほうを掴んでぐるぐる回した。ルカとヴィルはローザから目を離さない。
「咲の跳弾を利用するしかないんじゃないか。人間が動くというのはやはりリスクが高すぎる」
「向こうの動きを止めてしまわない限りは、先程の二の舞になりかねません。宥めてしまうのも手ですが」
「んー…」
多少の沈黙あと、
「…殺せって」
咲が言った。
 あぎを床に打ち付けてぺちぺち言わせている。ルカとヴィルは振り返らないまま眉を寄せた。
「言われちゃったんですから、やっぱひと思いに殺しちゃいましょうよ」
咲はさくっと言ってのける。
「………」
「上司思いの部下の気持ちを汲んであげるのも、悪くないと思うですが」
咲はあぎの端っこを踏んづけた。
「判断の基準として、情報が少なすぎます」
ルカが苦い表情をそのまま声に出して言った。
「僕的にはね、ヴィンちゃんさんが珠を取り戻して、こっちサイドが誰も死なずに先に進めればそれでいいです」
「考える余地はあります。人を殺すというのは、大変難しいことです」
ヴィルは何も言わなかった。
 咲は頭を捻る。
「じゃあ、お話聞いてみたらいいんじゃないですか」
「…あれが話聞ける状態かよ」
ヴィルは顎で青い髪を指す。
「向こうさんに殺す気があるかないかくらいの判断は、出来るでしょ」
踏んづけたあぎを伸して、広告でも丸めるような具合に巻いて、棒を作り終えた咲が微笑んだ。
「ルカちゃん、さっきの、まだみなひめで防げますか?」
「体力は残っていますが…」
言って、ルカは手を伸して前に結界を張った。
「じゃあちょっと上まで行きたいので、お願いします」
言って、
少し助走をつけた咲は思いきり飛び上がった。みなひめでつくった階段をいくつか上がって、壁の上の隙間まで上がった。なにげに息がぴったりだなとヴィルは思った。
 ヴィルとルカはそれを目で追う。
 咲は空中で右肩を下げて、
 棒あぎを、
「てやあ」
 投げる。
 ひょんひょんひょんひょんなりながら、あぎは降下しつつローザへ向かって飛んでいく。
 あぎは何も言わなかった。
「ああ」
ヴィルは感嘆に近い声を軽く出してみた。
「人身御供ってわけか」
「近い」
降りてきた咲は微笑んだ。
「です」

がっ。

あぎに気づいたローザは、それを正面に見据えて、腕を伸した。
 あぎの上にピンポイントで雨が降る。

「あ」
「あ」

 あぎはそれをもろにうけ、床に叩きつけられる。べちょともべしょともべさともつかぬ音がした。
 大人二人は珍しく目を疑った。
 あぎは無傷だった。
 分裂もしない。
『いてえし』
「な…っ」
ルカとヴィルはは驚愕の色を見せた。
 ローザは、床に落ちたあぎには関心がないらしい。それ以上攻撃をしなかった。
「…なんで……?」
「攻撃をうけたら分裂すると思っていた」
「もしくは液体にまで分解されて、おぞましいことになりはしないかと危惧していました…」
二人は同時に咲を見た。
「…なんで……?」
「ぅしゃあ読み通り!」
咲は指を鳴らした。同時に背中の銃を引き抜く。
「狭いながらも道が開けたです」
「あ?」
そして発砲。天井に意味のない穴があいた。
「作戦たーーーーーいむっ☆☆」










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