「しかし嫌な気分だ!」
ヴィルが珍しく叫んだ。
「けれど嫌な気分です!」
ルカも久々に叫んだ。
「…提供者たる僕もやはりいい気分はしないと言うか…」
咲は口を歪めた。
『外出て死ねやてめえら』
「そこ上から二酸化炭素を放出しない」
ルカがあぎの腹に拳をたたき込んだ。
 咲はあぎを大伸しに伸して伸して伸して正方形にし、四隅をルカのナイフで空中のみなひめに固定、ドーム状にした。三人はその中に体操座りで収まっている。攻撃は全てあぎが吸収してくれるので安全には違いなかったが、上部にあるあぎの顔部分が此方を向いている為、一同、すごく嫌な気分であった。
「ぎっぷりゃーみたいなー…」
「なんでもアリにも程があるんだよ、不定形が…」
抱えた膝に顎を乗せてヴィルが言った。生物さえも略された。
 外では例の閃光が降っている。三人が慣れない体操座りを完了したあたりで、また突然の攻撃を始めた。防御なしで出れば、間違いなく微塵切りだ。
 壁に無数の穴が開いて、跳ね返るたびにがちがち音がする。ローザもなんやかやと叫んでいるようだが、言葉として聞き取れない。
 今度の攻撃は長い。ルカの見解では、ある一線をこえると、あのタイプの攻撃は本人の意図に反して暴走するものであるらしく、恐らく今回のはそれにあたる。目的と標的が定かでないなら尚更だ。
「此方から何か仕掛けなければ、現状の打破は難しいでしょう。こうなった以上止むのを待つのは、無謀かと」
『俺も長時間もたねえよー』
「うるせえ耐えろ」
「決めることは手早く決めて、行動に移しましょう、是非」
咲とヴィルは同時に頷いた。
「えっとじゃあ、作戦は今のでいいですかねえ。使えるのは防御壁としてあぎ、限度があるにせよみなひめだけですので、上策でないにせよ…」
「あぎさんに限度があるとは考えられないのですか」
「んあ、それはないと思いますですよ」
咲がグロックの初弾を確かめながら言った。
「さっきのあぎ投げ、結構確信犯だったです。昔一度知り合いが、同じような攻撃する人を相手に、あぎ使って闘ってるとこ見たことあるです。濃度の高い技ほど跳ね返すだとか言ってました。都合よく出来てますねこいつ」
咲は銃口であぎをつつく。
 ヴィルは軽く咲のほうを見た。
 成程、そういう経緯があったわけか。咲の有り余るまでのへろへろ余裕っぷりは、先刻の白服戦を見ないでもわかる。
 あぎで戦う知り合いというのには、ものすごく気になったが言及しないことにした。
「一応彼女、標的にあてる意識と力はまだ残ってるようです。囮を出すのは有力でしょう」
咲は銃の整備を終えて顔を上げた。
「しかしお前が行くことはないんじゃないか」
「いや、やっぱヴィンちゃんさんが珠を取り返す係じゃないとです。かっこいいとこですからね、頑張ってくださいです」
咲はヴィルにむかって笑んだ。
「………っ」
ヴィルは合った目を外した。
「そんじゃあルカちゃん、頼むです」
「承知しました、気を付けて」
「うっし、なにがあっても恨みっこなしで!」
咲はあぎを押し上げて外に出た。同時にルカが結界を張る。
 ぽぴんが連続して鳴った。
「………おいルカ」
ヴィルが膝を抱えたまま言った。
「何ですか、手短にお願いします」
「お前、咲の家に行ったとか言ってたな」
「…? ええ」
咲が飛び上がって結界に乗った。
「………あいつの家族構成とか、知っておきたいんだが、一応」
「は?」
ルカはわりと一生懸命なので、あまりものを考えずに頓狂な声をあげた。
「いや…わからなかったら構わないんだが」
「…上にお姉さんが二人おられるようでしたが?」
「そうか…」
「集中したいのですが、他に質問は?」
「後で色々聞くからそのときに頼む」
即答だった。
「わかりました」
一連の会話を聞いていたあぎは、いろんな意味で何も言えなかった。


 作戦といっても陣形があるわけではない。出る順番を決めただけのことである。
 「とりあえず咲がルカの援護のもと外に出てローザの攻撃範囲を狭める。一発喰らわせて、出来ればいっぺんのしちゃう方向で雨をやませる。出来なかったら怯ませるくらいはして、ヴィルは念のためあぎを伴って左から。ルカは援護。
 その後黒い威圧でもってヴィルが説得を試み、叶わなかったら珠を無理矢理奪い返す、それも叶わなかったら殴って蹴ってこてんぱんにのして人質にとったのち、何か知ってげな蛇忽&石鼎、あるいは賢者と交渉。ついでにローザと賢者を囲む現状把握が出来たらいいな。最終的に全部だめだったら殺そうね」。
という咲的なものだった。小回りがきく人間のごく適当な作戦だったが、他の二人も同じようなものであったし、情報が少なすぎるため他にうつ手もないというのが現実だった。
 というわけで。
 先ずはこの雨をやませに、咲が出る。

「ぅぁああぁぁぁぁ  ぅ るさい     ぅるさ  うるさいうるさぃうるさい
 うるさいぃい うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい… ぅあぁぁぁあああ」
咲は結界の上で静止した。
 壁を越すまであと二メートル半と見た。二歩で飛び越えられる。
「なんでぶち切れてんでしょうこの人。気味悪いなあ…」
 ローザは下を向いたままわけのわからないことを叫んでいる。
 真上に発砲する。
 一瞬閃光がおさまる。
「『賢者様が死ぬのが』 ねえ…」
呟いた咲を、桜色の瞳が向く。
「……………」
大きく見開かれているのはヴィルとルカにも認識できた。
「えっと、何が起きたかは話していただけないのですかねえ。僕はこっちへ来たばっかりで何にも…」
「………けんじゃさま    は       」

「ぁあんたたちが …」


「    あんたたちが来たから       」

「  あんたたちが  呼ばれなければみんな」


雨が降っている。川が流れている。
 なんとか聞き取れる声量だった。
 「呼ばれなければ」?

「     呼ばれなければ        」


ローザの呟きが突然止まった。
 目は見開かれたまま静止した。
「………」

「……?」
 どこを見ているのかわからない。

 突然、咲は足に衝撃を受けた。
「!?」
左に構えていたヴィルは、咲の足の前に光を見た。
 今までローザが発してきた色ではない。
 もっと濃い。
 
 紫の。

軽い叫声が背後から聞こえて振り向くと、ルカも床に頽れていた。同じ色の光を纏っている。
 同時二カ所の遠隔攻撃。ローザは動きを止めたままだ。
 紫色。

 みなひめの結界が、
 崩れる。

「『咲っ!!!!!?』」             足を払われた格好になった咲は体勢を崩し、更に同じ光による正面からの攻撃で数メートル吹っ飛んだ。
 ルカはまだ立ち上がれない。
 結界は、間に合わない。

 ヴィルのまわりの結界も融けるように消えていく。
 何発か雨粒を喰らった。
 結界の効力は消えたわけではないが、物理的に身体を支えるとなると、攻撃を受けたルカの精神力では作り得ない。
 咲は落ちていく。
 ヴィルの身体を支えていたみなひめも融けて、川の中に足を突っ込んだ。痛みが走る。
「  くっ     」             

 間に合わない。

「咲っっっ!」
ヴィルが踏み込んだ。
 雨粒に幾筋も抉られ熱を孕んだ脹脛は、ヴィルの意思とは裏腹に鉛のように重かった。
 痛みはなかった。ただ、魔力の満ちた川の中、走れば走るだけ進めば進むだけ、深浅様々な切り傷が二本の両の脚に増えていくことがなんとなくわかっていただけだった。
 抉られた傷に、再度魔力が流れ込み、また深く抉れる。どろりと流れる紅い血に彩られた肉が既に傷口からはっきりと見られるほどになっていたことにヴィルは気付きはしない。
 どうだってよかった。
 ただ、咲さえ助かれば。
 咲さえ傷つかなければ。
 他に何一つ、考えることすらできなかった。
 ただ、ヴィルは走り続ける。
「…咲さん」
ルカが上体を起こして、腕を上げる。もう、間に合わないと自分の不甲斐なさをただ悔いて。
 しかし、そのルカのすぐ横を、ヴィルが、間に合わないと思われたヴィルが確かに走り抜けていく。ただ、その目には咲の姿だけを映して。
 そして、伸ばされたヴィルの手。
 ヴィルは咲を抱き留めた。
「ヴィル!」
ルカが叫んだ。結界を張る。ヴィルは同時に飛んで、新しく張られたみなひめに飛び乗った。
 ヴィルは右手に絡みついていたあぎを、ルカの方へ放った。
「介抱してやれ」
 なんとなく意図が読めてしまったあぎは、黙って投げられてやった。ルカは左手でそれを受け取る。
 それを確認したヴィルはすぐさまに腕の中の咲に視線を戻し、そして絞り出すような声で言った。
「無事でよかった」
 自然と咲を抱きかかえるヴィルの腕の力は強くなる。
 もう、離したくないと思った。
 このまま、この腕の中で大切に守ってやりたいと。
「咲」
 しっかりとヴィルは咲の名前を呼ぶ。
 先刻まで絶えず聞こえていて半ばバックグラウンドミュージックと化していたローザの声は聞こえない。まだ、何かを見つめて動けないままでいるのかもしれない。
 束の間の平和。
 ヴィルは魔力の波の流れ着いていない、ローザからだいぶ離れた位置まで移動するとゆっくりと咲を床へと横たえる。
「後は俺がやる。お前はここで待っていろ」
「嫌です!」
 ヴィルの異様な雰囲気に呑まれたままであった咲が、この言葉に勢いよく上半身を起こして見上げる。
「僕は、まだ戦えます」
「その怪我で、か?」
 言われてヴィルの見つめる先を咲も見やる。熱いような気がするはずだ。左足から血が滴っている。
「でもヴィンちゃんの方が」
「大丈夫だ」
 言い募ろうとする、咲の言葉は最後まで言わせずに、ヴィルは咲に背を向ける。
 紫の気配はもうない。
 ローザのつぶやきもぽつり、ぽつりとまた始まり、魔力の波もまた広がってきていた。
 ヴィルは背負ったままになっていた剣を手に取り、ぐっと握る。
「俺は、お前が傷つく方がずっと痛い」
「………は………?」
 咲が心底理解不可能、と言った表情でヴィルの背をみやるのにも気づかずに、ヴィルはローザの方へとゆっくりと近づいていっていた。
 少し離れて、その一連の様子を回復しながら見ていたルカとあぎは複雑な思いに、苦笑いをもらさずにはいられなかった。

「さて……」
 剣を構え、みなひめで作られた足場を飛び飛びにローザへと近づいてきていたヴィルは、その目の前にきて足止めを食らっていた。
 咲の怪我を見たとき。確かにあったはずのローザに対する殺意が実際のローザを間近に見るにつけ、揺らいでいた。
 長く垂れた群青の髪に半分以上は隠れていたが、その顔は確かに見えていた。錯乱したために、濁った桜色の瞳、壊れたテープレコーダーのように、何かをつぶやき続けるその様子は「正常」ではなかったが、それでも確かにまだあどけなさの残る十歳ほどの少女である。
 咲の敵とはいえ、ヴィルはそれ以上近づく決意ができないままでいた。
 進退窮まったヴィルはふと咲の方を振り返る。
 ローザの放つ魔力の波はもう咲のすぐそこまで迫っていた。みなひめの結界も張ってはいるが、ルカの体力を考えるとそう長く持つものでもない。
 すぅ、とヴィルは息を吸うと、ローザへと向き直る。
 話し合いは、不可能だった。
 咲に、怪我を負わせた。
「殺しはしない」
 せめて、魔力を放出することもできなくなるほどに傷を負わせることができればいい。









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